大藤と千枚漬のお話

 江戸時代末期、孝明天皇の頃。

 京都・宮中で料理方を勤めていた大黒屋藤三郎が、工夫を重ねひとつのお漬物を考案しました。
 聖護院かぶらを薄く削ぎ、丸いまま扇状に塩漬けし、昆布・みりん・酢で味付けした・・・千枚漬の誕生です。

 漬物は保存食として捉えられていた時代・・・
 料理人の作る浅漬けは、それまでの醤漬や糟漬のくすんだ色味の物や塩漬とは一線を画し、上品な姿と繊細な味付けから都人のやんやの絶賛を浴びたと伝えられています。

 白い聖護院かぶらで、御所の白砂を。
 緑の壬生菜で、お庭の松を。
 黒い昆布で、庭石を。
 かぶらの白に、壬生菜を青松に見立て京都御所の瑞兆を表しました。

 新しい味への賞賛と評判は宮中にとどまらず、幕末動乱に揺れる京都の町衆の間にも一気に広まりました。
それまでにない淡味は「みやこやぶり」とも呼び称され、漬物商らがこぞって作り始めた事から市井のものとなりました。

 慶応元年に御所勤めを退き、開業。
大黒屋藤三郎の名前から、屋号を「大藤」と定めました。
カブラに大藤のシンボルマークはこの頃からのもの。


初代 大藤藤三郎

明治時代
 明治5年、新京極通り開通とともに店舗を移転。
 当代きっての繁華街の真ん中、店頭での漬け込みは、今で言う実演販売の珍しさに人だかりができるほどだったとか。

 明治23年には京都で開催された全国博覧会で全国名物番付に入選。さらに明治36年に開催された第5回内国勧業博覧会で銀賞を受賞したことにより
京名物「大藤の千枚漬」の名前は一気に全国区となりました。
 大正時代に京都府庁が編纂した「京都府名物集」には京名物・千枚漬考案者として、初代・大黒屋(大藤)藤三郎の名が記されています。



 今では「冬の京漬物」の代表とも呼ばれる千枚漬の歴史は、こうして始まりました。
 多くの漬物がおのおのの家庭で作られた民間発祥で伝えられ商業ベースに乗せられたものであるのとは違い、千枚漬はその最初から料理人が考案し漬物商らの手によって広まっていったという、原点のはっきりしたお漬物なのです。

 千枚漬が生まれて、もうすぐ百五十年。
 初代から2代目へ、2代目から3代目へ、4代目から現・5代目へと一子相伝で教えられた「味と技」。
 昔ながらの手づくりと伝承される「初代からの心」。
 時代に応じたた新しい試みを加えつつ、老舗として千枚漬本家の暖簾を守り、次代の味を育てています。


現・麩屋町本店





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